神様がいるならば
この世の終わりかと思ったあの日
私は3日ほど家に戻れないでいた。
自宅まで1キロという場所で足止めを食らっていたからだ。
何とかここまで逃げてきたが、途中の何度もやってきた恐ろしい揺れ。
しかし、やがて知ることになる津波の恐ろしさは目の当たりにしてはいなかった。
標高400m程の山の上で、一夜を明かし、ガス欠の車を放置したまま海側が見える所まで歩いた。
私は、目を疑った。
なんだこれ…
そこには、絶望が広がっていた。
あるはずのものが殆ど消え、数日前の景色はそこになかった。
ドキドキが止まらず、心臓が痛くて、押し潰されそうだった。
これまでテレビで洪水、土砂崩れ、災害の映像は何度も見てはいたが、それとは比較にならない圧倒的な破壊力の痕跡に、ただ呆然と立ち尽くし、空虚感に苛まれた。
私と同じくしてその光景を見た者は、やり場のない怒りと苦しみを覚えたに違いない。
あぁ、お母さん…と後ろで佇む若い女性の声に、おやじ、妹、甥は大丈夫なのか、と家族の安否に不安でいっばいな気持ちにさせられた。
こんな時
ただ願い、ただ祈るだけ
神様お願いだ助けてくれと
そんな想いは無駄だろう。神様がいるならこんな事、神様なんていやしない。
じっとしては、いられなかった。
停止気味の頭を殴って、考えて行動するしかなかった。
きっと自宅は海の中だろう…
みんな仕事にしろ学校にしろ、海の側に居たはずだ。
何とか無事でいてくれ
その想いだけが、3月の冷たい海の中に身体を投じさせた。
だいぶ水が引いたとはいえ、身長180超えの私の肩まであった。
濁った水の中に沢山の瓦礫が、行手を阻んでいる。たった10分で身体の感覚が麻痺して、瓦礫で傷ついた足に気付きもしなかった。
誰かの家の屋根の上で休憩しては、避難場所になっている小学校を目指した。
そうして2日かけて避難場所に着いた。
隙間なくあちこちの壁に、行方不明者を記した名前がぎっしりと埋められている。
そこに、私の名前もあった!
その瞬間、家族の誰かが記したと思った。他の誰かかも知らないが、筆跡が妹の字に似ていた。
私は、自分の名前の下に生存している事を書き加えた。
避難場所の中を隈なく探してみたが、家族の姿は何処にもなかった。
ご近所の顔も見えず、知る者は誰も居なかった。
嫌な予感を胸に、他の避難場所へと向かう。知り合いに遭遇しては互いの無事を喜んだ。
しかし、肝心な家族の安否が分からないままで、他人の事に素直な喜びや悲しみがついてこない。
満たされている時に孤独になりたいと願っていたが、それとこれは違う。独りは構わないがそれは私だけで良い事なんだ。
次に辿り着いた避難場所では、小学生の男の子が僕のお母さんを見ませんでしたかと、何度も声を上げている。
黙って見過ごせなかった。
紙に家族の名前を書き、一番目立つ高い所に貼り付けてあげた。
ごめん
今の私にはこんな事しか、してあげれない。
男の子の家族は見つかっただろうか
あれ以来、彼を見かける事はなかったが、心の隅にずっと引っかかっていた。
3日間飲まず食わずで、三箇所の避難場所を廻ったが、何の手がかりも無いまま、最初の小学校へ戻った。
もう、ヘトヘトだった。もう、どうして良いか分からないでいた。
力無く体育館入口の扉を開け、中を見渡した。
すると聞き覚えのある声
お兄ちゃん
入り乱れる声の中、とても大きな声で、私の耳を突き刺した。
歩く隙間も無い程に、人で埋め尽くされた中、
とても恥ずかしがり屋の妹が、人目もはばからずに、大粒の涙を流して駆けてきて、私を抱きしめた。
お兄ちゃん
生きてて良かった
そう言いながら妹は、私を強く抱きしめた。
私の家族は沢山の人の優しさによって、命を繋ぎとめることが出来た。
今日まで沢山の修羅場があったが、あの日を境に考えが変わったおかげで、乗り越えられた。
大切なものは、私だけが持っているわけでは無いと言うこと。
皆が願い、祈り、そしてそれに向かって起こした優しさの奇跡。
泥だらけの顔して、絶望的な光景の中、皆の心の中に神様がいた。